オチすらないです

mixiで日記を書くということには、純粋に日々の記録を文章として残したいという本来の意図よりも、多少なりとも、無意識にでも、マイミクたちからの反応を求める側面がある。個人的には他のSNSや日記やブログシステムに比べて圧倒的にコメント交流がしやすいことが、mixi大躍進の原動力だと未だに思っている。やっぱり人間は、認められたいのだ。自分以外の誰かに。マイミクという名の、パソコンに住むキャラクターがくれる(この際マイミクが実際の(オフラインの)自分にとってどれだけの存在かというのは影響しない)頑張ってる自分におつかれさまーだったり、映画の感想に「わかるわかる!」だったり、落ち込んだ時の愚痴に「大丈夫よあなたはあなたでいいのよ」という慰めだったり、そういったあたたかな反応=認め欲しさに、mixiには今日もたくさんの日記が上がるのだ。トップページで「新しいコメントが1件あります!」の赤文字を見たときに押し寄せる強烈な快感は、体験した人にしかわからないだろう。

もちろん今も昔も、自分も漏れなくそんな一般的mixiユーザーの一人だが、認められたくて日記を書くという自らの誘い受け体質は自覚があるつもりだった。わかってやってんだからいーじゃん、ていう、私は一歩進んだミクシ中毒患者なのよというやっかいな優越感。しかし最近、正直反応が無いことが辛かったwwwwwwwwww。反応が欲しくて書くわけだからある程度ネタを練ってるつもりだし、でかい釣り針を用意したった!ぐらいのつもり。しかし「ちょwwこれちょっと露骨じゃないですか(照)」と自分で思う大きな釣り針に反応がつかなかった時の切なさと恥ずかしさに、最近ようやく耐えられなくなってきたのだ。そうして、やっといただいた反応が自分の欲しかったものとは違った時には「あたしはこんなコメントが欲しくて書いたわけじゃないよ!」と筋違いに怒りすら覚えてしまったりして。「書きあげた瞬間に作品は読者のものになる。反応は読者にゆだねられる」と仰ったのは京極夏彦先生だっただろうか。たかがmixiの日記かもしれないが、本質は同じなはずだ。ノーコメントも自分にとって痛いコメントも受け止めなくてはならない。そんな反応もらくらく送りあえるのがmixiなのだから。解って使ってるのだから。

mixiを始めて5年になる。mixiを通じて友人も増えたし、昔の友人と連絡が取りやすくなって同窓会的なこともやりやすくなったし、一度しか会ったこと無い人とも交流してる感が楽しめるし、恋愛もしたし(笑)、ずーっとブレずに楽しかった。mixiの面白さがわからなくて止めちゃったーという人もたくさん知っているが、そのかたがたの気持ちの方をま っ た く 理解できない程度には充実したmixiライフを送ってきた。しかし、私がこんな日記の書き方をしてる内はこれ以上mixiで世界を広げることは不可能な気がしてきた。5年前の私はまだ20代。それから5年間、同じシステムで同じオレンジ色の画面を見ながら、コメントを求めて日記を書き続けている。長いなあ。そろそろ、違う世界に本体を移すのも楽しいかもしれない。誘い受けな自分を変えていきたい。日記にコメントつかなくても、強がりじゃなくへこたれないぐらいにwwwは。mixiのシステムに使われるんじゃなくて、赤い文字を四六時中欲しがるんじゃなくて、主体性を持って、道具としてmixiを使える自分。うん、これだ。むしろインターネット上で日記を書き始めたもっともっと前にはそんな感覚も持っていたような気がする…。


でもきっとずっとmixi大好きですけど。idも5年も経ってるとさすがに古いし、退会するつもりも皆無です。うんこですいません!(いろんな意味で

あなたは私の ほんのイチブしか知らない
勝ち誇るように笑われても それほど嫌じゃないよ

イチブトゼンブ / B'z